“Double Titans Tour In Japan Vol.2″ Brutal Truth vs Converge、行ってきました。すごい組み合わせだし、ダブルヘッドライナーってもの自体が珍しい。そのせいか少々チケットも高かったか。
Convergeはハードコアの精神性を体現したかのような神がかった雰囲気があると思うけど、その期待通りの完璧なライブ。カッコいいの一言。Brutal Truthはオールドスクールなグラインドコアをブラッシュアップし続けてたらずっと同じ位置にいた(笑)みたいな音だけど、投げっぱなしの暴力性が最高。まぁブラストビートがノリにくいからかそんなに暴れてるやつもいなかったけど、なんか妙にあったかい空気が流れてた気がします。期待度ではConvergeが上だったけど、両方同じくらい良かったな。
しかしConvergeのVo、ジェイコブ・バノン。あの見てくれや動きのキレ、パフォーマーとしても一流だ。マイクのケーブルつかんで常にブンブン振り回す。そのままブン投げ片手キャッチ。そして最後の曲だけ投げっぱなしで目もくれず。マイクがガツンと床に激突して終了。しびれるね。

一見「第二次大戦を舞台にしたおバカ映画」に見えてたし、もちろんそういう側面はある映画なんだけど、宣伝のビジュアルなどで見た目で判断しちゃってた感じです。もしかすると『キル・ビル』以降、タランティーノを舐めてたのかも。ヤツはそんなに甘くなかった!
表面的にはコミカルなシーンも多いけど、過去のタランティーノ映画で素晴らしかった「緊張感のある会話」シーン、ああいうの結構あります。そして同時に、普通に考えうるお話の流れを、オチのない暴力で徹底的に破壊する。容赦無く。でもその積み重ねが最後の舞台となる映画館の一点に収束していく。この凝縮感が本当にすごくて、まさに圧巻。そしてもちろん、オチが単純なカタルシスのわけもなし。
ある意味、ブラピの首にある「線」が唯一気になった映画。冗談じゃなく本当に。なんだありゃ?手術でもしたのかな。理由とか原因とかは詮索する気はないけど、内容に関係ないくせに目には入るので気が散ってしまう。作品としての欠点になってると思う。

たまたまどこかのブログで見かけて気になっていた、フォト・ドキュメンタリーの先駆者セバスチャン・サルガドの写真展。先週行ってきたのでちょろっと。
35mmフィルムだと思うけど、粒子の荒さが点描のようで、そのグラデーションが黒い肌、アフリカの荒々しい光景に映えること!アフリカの現状、時には酷かったりもする状況を伝える写真ではあるので、写っているのは難民だったり死体だったり…なんだけど、ほとんど幻想的と言ってもいいくらい。芸術的にも完璧。良すぎて思わず二度回ってしまった。そして会場外に小さいサイズの図録が売っていたけど、実物とのギャップがありすぎて買えませんでした。
オリジナルプリントのパワーみたいなものを久々に感じた展示でした。まぁ写真展に行くのが久々だからでもあるんだけど。一応、併設されてた「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」も見たんだけど、ほとんど記憶になし(笑)
『方丈記』に著者の戦争体験などと重ねつつ、そこから鴨長明という謎の人物を読み解いていく、という本。方丈記の原文や和歌に引っかかるものの、現代語のフォローは入るので一応は大丈夫です。とは言え、その辺の時代に対する基本的な知識がなってないので、ぼんやりとした印象のまま読み終えた感もあります。
方丈記が書かれた当時は、鎌倉時代後期は過去の歌から得た印象から歌を作ったりする「本家取り」とか、数百年前の文体のみに限定して歌を作ったりとか、技巧的な芸術が流行していたようで、鴨長明はその辺りに対するアンチテーゼをわざと紛れ込ませたり、ジャーナリスティックな視点で書いたりした人みたいですね。単に「無常観」だけの人では無かった、と。
そういった技巧的な芸術の事を“高度に抽象化された芸術”などと書いてあるんですが、これ、なんとなく今の「萌え文化」に通じるのではないかと。まぁ“萌え”という言葉を正確に把握してるわけではないですが、単に○○が好きだとか肉体的なフェティシズムを指すというよりは、“自分の嗜好の表明”的なメタ視点な感覚とか、「本家取り」的にそのジャンルの中でループして表現の熟成が進んでいっている感じとか。
どこかで読んだ宮崎駿監督のインタビューに出てきて古本で買っておいたもの。長期間風呂で読んでたのでグニャグニャ。半水没すること数回。